【早稲田材料工学会・同窓会便り】(その1)



昭和28年・金属工学科卒「理工学部二八K会」同窓会

                2008年10月18日・東京都港区「芝弥生会館」にて開催


 金属工学科・S28年卒は、1949年・昭和24年の「学制改革・6・3・3・4制」の新制学部の第1回「金属工学科第1期生」として早稲田大学理工学部に入学しました。

 それ以前の旧制学部では、採鉱冶金学科と応用金属学科に分かれており新制学部で「金属工学科」に統一されました。その他の学科として「鉱山学科」もありました。早稲田大学では、旧制学部」の学生が卒業するまでは「旧制・新制」の学制が並列しておりました。

 昭和24年入学の「金属工学科1年生」は入学時定員60名でしたが、S28年卒業後今春3月で55年が経過し、現在同期の生存者は37名となりました。

 卒業したS28年は「朝鮮戦争」の朝鮮特需が終わり、昭和32年の「神武景気」までの不況が始まった年で「高炉メーカー(当時、八幡製鉄・富士製鉄・日本鋼管の3社)」が一人も新規採用しない唯一の年でした。然し同期の方たちは何らかの金属系企業に就職されました。一方、独自のお仕事に進まれた方も多くおります。

 当時の大学は太平洋戦争終了直後で復員され肩章を外した軍服姿の先輩もまだおられました。

 同期の結束は非常に固く、40年近く途切れることなく毎年同窓会を続けてまいりました。

 30年程以前に会員に会の名前を公募し、名称を【二八K会】と命名しました。28年・金属の意です。















2008年「ニ八K会」同窓会
10月18日(土)東京都港区「芝弥生会館」11Fにて
中央に座っているのが、本会を長期継続させた功労者「藤森敏夫」君(実質の名誉会長)
椅子席・前列中央が筆者(幹事)三樹


 卒業時の学科主任は、若林章二先生(粉末冶金ご専門)で毎年の同窓会に必ずご夫人とご一緒にご出席くださいました。S56年に会員の武田益太郎君が役員をしていた安房鴨川の旅館で同窓会を開催の節は、先生が遠路の外出がご無理になられたので、幹事の藤森敏夫君が寝台になるワンボックスカーを運転し、先生ご夫妻をご案内したこともありました。


 当時は会員が夫々仕事で忙しく中々幹事に協力できない時代でも藤森敏夫君は毎年の同窓会を続けてこられ、今日まで同期の結束を維持された功労者です。

 その後、各県単位で幹事を交代した時代もありましたが、2001年からは千葉県在住の燧 五郎・野村光雄両君と筆者・三樹一雄の3名が幹事を勤めて9年になります。

 2002年の卒業50年の際は、会員25名が大学「ホームカミングデー」の式典に参列し、大隈重信侯銅像前で記念写真の撮影もしました。

 以後は、毎年10月の第3土曜日の正午と決めて「二八K会同窓会」を開催しております。4年前からは会場を東京都港区の【芝弥生会館】11Fと決めて会員が集り易くしております。

 窓の真下に「浜離宮」を眺め東京湾を一望できる絶景の場所です。














                               (右の写真)⇒
                       東京湾
 宴会場窓からの風景
                             隅田川「水上バス」のターミナル


 昨2008年は体調の悪い方も多くなり、会員16名・ご夫人5名の21名参加と少なくなりましたが、欠席21名の方も含め全会員の方から近況の報告を受け、全会員の「近況報告書」を作成し、全員に同報告と記念写真を送付しました。

 2008年10月18日(土)は、上記会場に21名が出席し山形県寒河江市の「月山酒造」会長・鈴木謹也君寄贈の「月山大吟醸」で乾杯し、2時間半の和やかな懇談の後、最後に校歌「都の西北」を斉唱し散会しました。

 宴の途中で「材工会」の活動についての報告を幹事・三樹から説明しました。


 10数年前までは、地方出身の会員が特別幹事として旅行の案内をし、先述の安房鴨川以外に「松島・上諏訪・天童」等にて一泊旅行の同窓会を開催しました。

 そのどの同窓会にも多数のご夫人方が参加されていることを筆者は幹事になる以前は珍しく思っておりました。25名の参加会員に対し10名近いご夫人が参加されたとしもありました。

 筆者は地方の営業所勤務も多く同窓会に出席できない年もありましたが、一昨年会員の藤原宏君が亡くなり、先日その1周忌「偲ぶ会」が開催され同期の会員と一緒に私も参列しましたが、藤原君のご子息が編集された「父の生涯の写真集」を拝見し、その中に下記6名の「ニ八K会会員」が6名夫々の結婚式に出席し、更にそのお子様方の結婚式にもその6名が揃って撮影された写真を拝見しました。藤森敏夫・鈴木謹也・燧 五郎・深澤通則・山本利郎(故人)・藤原 宏(故人)の6君です。

 その後の同窓会には、亡くなられた会員のご夫人方も皆さん同窓会に参加されております。

 上記の6君は学生時代から特別に親密で、結婚後は全ての方々がお子様方を含めた家族ぐるみで交際されていたのです。

 我々「ニ八K会」の会員は「大久保キャンパス」を全く知らず、「鋳物研究所」(現・材料技術研究所)で講義・実験等の大学時代を過ごし、標準年齢で間もなく大台に届く年齢になりました。当分は参加できる会員が存在する限り「同窓会」を続けていきたいと考えております。

                             (「二八K会」幹事・三樹記)


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